就農までのあれこれ(2)

 福祉業界では自分で言うのもおかしいですが、頑張って働きました。11年ほど主に自閉症がある方の支援をしてきました。この仕事はとてもやりがいがあって、自分ではおそらく生涯続けていくものだろうと考えていました。自閉症当事者の方のものの見方や価値観、個性などに注目して、支援を学び、支援する側が変わると当事者の方達は本当にストレートに反応を返してくれました。  現場で当事者の方と接するのはとても好きでした。自閉症当事者一人ひとりの世界観に触れ、新しい価値観に出会うのが好きでした。また、彼らの多くが、何か強く訴えたいことを持っていて、様々な行動にして見せてくれました。僕にとってそれは純粋な表現で尊いものに感じました。時に笑い、時にイライラしたり、悩んだり、彼らとの時間はとても濃厚で忘れることはありません。  彼らと共に生活や場合によっては人生を共にするのがご家族です。ご家族の悩みを一緒に考えたり、どうすれば良い接し方ができるかなどを考えていくプロセスもとてもやりがいを感じていました。

 けれど、一方で支援はチームで行うもので、対価を得るという目的の仕事に変わりありません。仕事は当然、様々な立場の人が様々な価値観をもって取り組みます。チームがまとまって一つの方向を向いていけば良いですが、支援者同士の考え方、スキル、経験の違いは多くの誤解やトラブル、軋轢が生まれるのが常でした。福祉業界での11年の間に、いろいろな組織を経験しました(神奈川(大磯)→大阪(枚方)→神奈川(藤沢))が、どの組織にも当然摩擦はあり、その摩擦をどうスムーズにしていくかは課題でした。現場を続けるうちに、最終的にいわゆる主任(リーダー)のようなポジションになって、チームの方向性をまとめなければならなくなりました。全ての組織がそうだとは思いませんが、当時僕がいた組織は、福祉的な倫理観はしっかりしていましたが、現場に落とし込まれておらず、責任だけを一人に追わせるやり方になっていました。また、僕が学んできたスキルや支援方法を他のスタッフと共有していくのはとても根気がいる作業でしたし、諦めなくてはならないことの連続でした。最後に僕がいた組織は、僕が入社してからの3年で約20人が退職するというようなところでした。仕事量が増える一方なのに、僕は上とも、チームとも摩擦が大きくなっていくのを感じました。

(いろいろ協力してくれたり、一緒に悩んだり笑ったり泣いたりしてくださったスタッフの方々のことももちろん忘れません。本当にありがとう、お疲れ様、迷惑かけてごめんなさい)

 仕事の組織の摩擦の中で悩んでいたちょうどその頃、実母が膵臓癌で余命半年の宣告を受けて、2021年にあっけなく他界しました。63歳でした。母のがんの原因について当然考えてもわかりませんが、仕事の組織でやはりストレスを抱えていたという話がありました。身近な人の死というのはこれまでにいろいろ経験してきましたが、母の死は僕にとって特別なものだったと思います。コロナの中、自宅で最期の緩和ケアができるように、福祉の知識を使っていろいろなサービスにアクセスし、自宅で母を看取りました。その時ばかりは、福祉の仕事をしていた経験が活きたと思います。しかし、福祉の仕事の激務の中で母の看取り時間を確保するのはただ「つらい」の一言でした。母が死んだというだけでなく、父のその後の生活を考えたり、母の死に至るまでの兄弟たちとのやりとりにもいつしかストレスを感じるようになっていたと思います(今はそんなことはありません)。

 結局、僕は睡眠不足や体重の減少などが重なり、退職しました。2022年春でした。いろいろなことをリセットして考える必要がありました。

(3)につづく

2024/9/3 Kosuke Kumaoka

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