時間の使い方と農業者の孤独
恵の雨とは言え、毎週火曜(出荷日)に雨が降るのも流石に昨日朝はため息でした。
夏野菜の準備や日々の出荷作業などに追われて、最近は朝明るくなると畑に出て、昼ようやくちゃんとしたご飯、夜暗くなるまで畑という生活になっていました。就農前に師匠たちの忙しさを見ていたので、覚悟はできていましたが、やはりこの時期はどうにもゆとりがなく先々このようではいけないなと思いながら作業しています。気づけば就農してから1年が経とうとしています。
農業って、なんでそんなに忙しくなってしまうのか、これは1年やってみてようやくわかってきました。簡単に言えば、先が見えない不確定な出来事が多すぎるということなのだと思います。露地野菜ですから、天候により作業や収穫量が大きく影響を受けることはもちろんですが、そのほかにも土地の問題(5年〜10年など長くお借りできる畑があるか)があり、初期投資が大きくなったり、不安定な収入(端境期、作物の不良など)であったり、流通を一から作らないといけなかったり、体調不良などもありますし、それが重なると、不安が大きくなり、リカバリーできないなどあっという間に悪循環に陥ります。
1年やってみて、僕が特に悩んだのは、土地の問題です。非農家出身ですから、土地はゼロからのスタート(僕の場合、研修中から縁があって少し使わせていただいた畑はありましたが)。今では畑をお借りするって、とても複雑なことだとわかってきました。市や農地中間管理機構などから土地の紹介は全くなし(全て地元の良い先輩に紹介していただきました)、借りていた畑が道路開発予定地でお返ししなければならなかったり、隣の慣行農家さんが草にかなりうるさかったり、それはそれはいろいろあります。 例えば、なんらかの理由で土地が使えなくなったり、お返しすることになったりすれば、栽培や労働時間の計画はかなり変わってきますし、逆に縁があって新たな畑を開始するというのも、ある程度無理をしなければ作付けの準備ができません。機械を使わないので、徐々にしか準備が進みません。このように1年土地の問題だけでかなり悩んできたように思います。土地についてはまた詳しく書いてみようかと思います。
時間の使い方。これはとても難しい問題です。機械や農薬を使わずに小道具と手作業でやりながら、作業効率化、省力化なんて矛盾しまくっているし。少ない労力で今何を優先させるべきか、いつも選択の連続です。それがスリル満点で良いところだとも思います。でも始めたばかりでは、やってもやっても足りないという状況に陥りがちだななんて思います。
笑って「貧乏暇なし」って言えるうちはいいですが、子供にはいわゆる普通の家庭(普通の家庭って何かよくわかりませんが‥)の生活、時には家族旅行したり、物質的に豊かでなくとも満たされる時を過ごさせてあげたいと思いがあり、それができないと僕の心も貧しくなるなと思うのです。先日、子どもたちががゴールデンウィークにどこかに行きたいとせがむのに、どこにもいけないのが可哀想で、貧乏暇なしが疲れて、1泊だけ「必殺のおばあちゃん家」に行ってきました(僕は育苗のことがあり日帰りですが)。息子は、ゴールデンウィークの思い出を作文(宿題)にするために、ゴールデンウィーク最終日におばあちゃんちから帰ってきてやっと作文を書けたのでした。
孤独というのは、自分が物理的に一人だから感じるのではなく、自分の置かれている状況を周囲の誰にも説明がつかず、周囲の誰もよく知らないということから大きくなるのだろうと思いました。そういった意味では、僕には妻(共に事業を営む)や師匠の存在、就農した同期、周囲の同業者の存在があることでとても助けられていると思いました。僕の今の状況を説明したらわかってくれる人がいるというのは、とても大切なことですね。
写真は、エルバステラ(イタリアで「星の草」という意味)と小松菜(後関晩生小松菜)
両方固定種です。これまで、虫に食べられてばかりで葉物ができなかった畑で、いい感じに大株になりました。努力がちょっとした結果につながることはとても嬉しいです。
2024/5/8 Kosuke Kumaoka